第5回 非公開座談会のご報告
2009年9月1日、第5回座談会(非公開)が行われました。
■テーマ
白井晟一の70年代 その磁場
〜70年代当時、建築家らからみた白井晟一
■出席者
石山修武(建築家、早稲田大学教授)
鈴木了二(建築家、早稲田大学芸術学校校長)
中川武(建築史家、早稲田大学教授)
原広司(建築家)
藤森照信(建築史家、東京大学教授)
■タイムテーブル
15:00−15:30 虚白庵見学
15:30(原先生、サプライズ訪問)
15:30−17:00 出席者らによる座談会(司会:中川武氏)
17:00−17:30 白井晟一学習会の用意した「豆腐とめし(おむすび)」晩餐
公式のレクチャーは4月26日の第4回「パーフェクト・インタビュー」で終了しましたが、
今回はレクチャーというかたちではなく、非公開で建築家らによる座談会が開かれました。
まずは、それぞれの先生方が、白井晟一との初めての出会いやそのときの印象について語られました。
* 石山先生は、22才頃、3日ほど白井晟一アトリエで図面を書いた経験があるそうで、
記憶によると10Hの鉛筆で書くことを指示され、非常に驚いたそうです。
当時は、大学のアカデミーとは別のジャーナリズムの世界が華々しく繰り広げられた繁栄期だったそうで、
白井もそのメディアのなかで出現したように感じた、と振り返られました。
当時の石山先生は得体の知れないものへの憧れとともに、白井の「人間臭さ」を感じたそうです。
村野との比較もされました。
また、マニエリスムについて触れられ、グラフィックな面から白井を「映像的な人」と捉えられました。
* 藤森先生は、第4回レクチャーの講師でもある川添登氏の著書を読んだのがきっかけで、
実際、白井の設計した《雄勝町役場》を見学したときは、唐突感から“よくわからなかった”そうですが、心に残るものであったそうです。
建築史の勉強をしていくなかで、少しずつわかるようになったとのことです。
開口部が床ギリギリの高さにあったこと、茅葺の異様さ、一段降りて入っていく感じなどに竪穴をベースにした“縄文らしさ”を感じたそうです。
しかし、未だ白井のディテールを論理でも言語化することでも説明しきれないということを、
「経験」によるものかと考察されていました。近代的自我についてもお話されました。
(鈴木先生)
* 鈴木先生は、「白井晟一研究」シリーズの著書出版にあたり、原稿を依頼されたときのことをお話ししてくださいました。
白井の《原爆堂パンフレット》に接し、クライアント無しで、かつ建つことを前提としていないプランといった白井の社会への打ち出し方に、「批評の質が変わりだしてきた」と感じたそうです。
ポリティックな面も徐々に帯びるようになってきたのではとおっしゃられていました。
* 出席者のうち、一番白井との接触の多かった原先生は、15:30の不意のチャイムとともにサプライズで登場されました。
招待状をお送りしていたのですが、返答がなかったので、これには学習会一同たいへん驚きました。
チャイムが鳴った時、「え、出席者は揃ったはず・・・白井晟一だったりして(!)」と冗談を言って、盛り上がってしまいました。
私は、原先生の書かれた論文「精神史的構想の実現」『建築文化』(1985年)と、「白井晟一 現代デザインについて語る 人間・物質・建築」『デザイン批評(No.3)』(1967年)の白井と原氏が対談した内容を、以前読み比べてみたことがあったのですが、
《親和銀行》出現の頃、つまり70年代を経て、原先生の白井の活動に対する洞察の変化と、白井自身の変化に興味をもちました。
白井を評価するにあたっての困難さ、戦後と'68〜以降の重合については第1回レクチャーで討論のトピックとなりましたが、今回の原先生のお話で、私も少しですが理解が前より深まった気がします。
原先生から見た白井の印象は、石山先生と同じく「人間臭さ」たっぷりだったようで、当時、建築界で中心的に語られた丹下健三とは、“距離感”がまた違ったとのことです。
若い頃は、白井のディテールのトレースを夢中になってした記憶があるとのことです。
* 中川先生から原先生へ「なぜ、原さんは白井を普遍化しないのか」という質問があり、白井が「僕は自分の力を過信しないから」という言葉を残したことを交えて、座談会はクライマックスをむかえました。
原先生は、白井について「思いを抽象化するタイプ」と捉え、仏教的思想と弁証法について語られました。
矛盾の中から多様性が生まれてくるという「あらずあらず」の論理について、「精神史的構想の実現」
『建築文化』(1985年)を読んで、私も白井の神話性につながるものがあったのではないかと感じた
のですが、原先生は、弁証法的なことを造形でやり遂げた丹下とは違ったかたちで、白井の位置づけ
を説明され、面白かったです。
* 白井晟一学習会主宰の中谷は、第3回のテーマでもあった「書」と白井の作品との共通する側面でもある、
「これまでの時代性が同時に平面的に(身体性もともなって)あらわれてくるという印象をもった」と、振り返りました。
芸術家の宿命や、近代的な芸術についても話題になりました。
* 最後は、白井のエッセイ「豆腐」「めし」にちなんで、学習会が用意したお豆腐とおむすび、ご子息の白井碰磨様が用意してくださったお醤油や薬味で、最後の晩餐。
* 第1回から第5回までの内容は、来年一月号「住宅建築」で公開されます。
虚白庵の雰囲気を損なわないようにということで、各レクチャーでは参加者の人数制限を行ってきましたが、参加できなかった方も、ぜひ「住宅建築」(2010年1月号)に目を通して白井や虚白庵について、いろいろと感じとってみてください。
ご子息の白井碰磨様、そして奥様に心よりの感謝を申し上げます。
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2009年9月20日 報告の一部を修正
報告:真鍋怜子(白井晟一学習会)