第4回「パーフェクト・インタビュー」のご報告
2009年4月26日、第4回レクチャーが行われました。
■テーマ
「パーフェクト・インタビュー」
■講師
川添登(建築批評家。日本生活学会会長・理事長)
中村敏男(建築史研究者。元「a+u」 編集長)
松山巌(作家、評論家)
■タイムテーブル
15:00-17:00 川添先生によるレクチャー。松山先生、中村先生によるコメント。分析。
17:00-17:20 休憩、白井晟一直筆原稿鑑賞
17:20-19:00 川添先生へ、参加者から質疑応答
(川添先生、ご都合により帰宅)
松山先生、中村先生、白井碰磨氏、中谷(白井晟一学習会)によるディスカッション
最後の学習会。
タイトルも『パーフェクト・インタビュー』としたように
白井と活動をともにし、当時を良く知る存在として、川添先生と中村先生をお迎えしました。
また、白井の活動に対する社会評価の変化も分析すべく、評論家の松山巌氏をお迎えしました。
松山先生や中村先生がなさる川添先生への質問は、当時の社会事情や時代背景を上手くフォローしてくださるもので
虚白庵の雰囲気と相まって、幅広い年齢層の参加者も当時をイメージしやすかったのではないかと思いました。
当日の様子(講師、手前左から白井いく磨氏、参加者、参加者、松山巌先生)
まず学習会の前半では、川添先生に、白井との出会いや、新建築にデビューさせるまでの経緯、
その後ともにした活動について語っていただきました。
先生が白井の建築界デビューの仕掛人であることは有名ですが、
その詳細な経緯についてはあまり、耳にしたことがなく
学習会のメンバーのなかでも、聞きたいという話があがっていました。
特に、白井がエッセイ「めし」や「とうふ」を書くにいたった経緯のお話は興味深いもので、
先生は白井を「色気」という言葉で表現されました。
私は、エッセイ読後に想像した、どこか幻想的な白井像がより鮮明になったように感じました。
レクチャーは白井のみならず、先生が交流をもった丹下健三、メタボリスト建築家にも及び、
伝統論争で接触もあった、丹下と白井の違いについても言及されました。
白井晟一の直筆原稿
(休憩時間には、川添先生が持参してくださった、白井の直筆原稿を皆で鑑賞しました。)
学習会の後半は、川添先生のご都合もあり、
松山先生、中村先生、白井碰磨氏、学習会主宰の中谷によるディスカッションが行なわれました。
メタボリズムとの関係、
70年代の磯崎新、原広司らによる白井論、
ご子息が始めた白井研究の目的と意義
などの視点から50年代から70年代の白井に対する社会評価の変容が論じられました。
学習会は予定時刻を大幅に過ぎて終了しましたが、今回も密度の濃い会になりました。
終了後、主宰の中谷は1年に及んだ会を振り返って言っていました。
「ベンヤミンはコンスタレシオン(布置)という言葉を使っていたけれど、コンスタレシオンとは星座のことでもある。
星座は私たちの普通の目から見れば平面の画像だが、しかしその光の一つ一つは時空の異なる存在の寄せ集まり。
白井の諸活動はむしろそんな星座として読み解かれるべきではないのか。我々は白井について、4回の学習会を通して
ジャーナル的な二項対立を越えて、歴史、それも全体史という時空を獲得しえたのではないか。」
学習会の運営を通して、私も多くの印象的な場面に立ち会うことができました。
なかでも、学習会に臨むにあたり、常に意識していた言葉があります。
学習会の企画段階から、ご子息の碰磨氏がおっしゃっていた「若い人達がどれほど白井晟一を知っているのか、白井に興味があるのか」
という言葉です。
この言葉は、会の運営者としても、学生としても、自分の立ち位置を意識し、
白井という建築家の生き方から何を得るべきか考えるきっかけとして、
大きな助けとなりました。
最後に、これまで学習会を支えてくださった参加者、講師の先生方に御礼申し上げます。
そして虚白庵で学習会を開催することを許可してくださり、
当日も熱心に会に加わってくださった、白井碰磨夫妻に御礼申し上げます。