第一回レクチャー『原爆堂と日本の戦後』終わる


去る8月15日、「虚白庵にて」第一回レクチャーが行われました。


■テーマ
『原爆堂と日本の戦後』
■講師
中川武(早稲田大学教授)
布野修司滋賀県立大学教授)


参加者は約10名ほど。参加されたのは、様々な大学の修士学生の方々や、設計事務所の方など。
そして建築家の伊東豊雄氏も参加者の一人としてご参加いただきました。
さらには白井磨氏のご協力により、「原爆堂計画」の原図面を拝見することもできました。

二人の歴史家と最先端を行く建築家に対し、10名程の参加者が、「虚白庵にて」。
他では決して体験することのできない、非常に濃密なレクチャーとなりました。



当日の様子(左奥が布野修司先生、中央奥が中川武先生)


タイムテーブル
15:00 開始  中谷礼仁による挨拶
15:00-15:30 布野先生によるレクチャー(司会:中谷礼仁
15:30-16:00 中川先生によるレクチャー(司会:中谷礼仁
16:00-16:20 「原爆堂計画」の原図面を見ながら、休憩
16:20-17:30 ディスカッション


布野先生は、白井晟一に対する戦後評価が困難であったこと、白井晟一がアジアへの早い眼差しを持っていたことを話され、
現代において白井晟一に対しどのような位置づけを与えることができるのか、ということを提議されました。


中川先生は、白井晟一丹下健三村野藤吾と比較し、白井晟一がインターナショナルと独特な距離をもっていたことを指摘し、
また、呉羽の舎における木造技術や親和銀行の細部技術が展開していかなかったことを、「頓挫した問題群、頓挫した近代」という言葉で戦後の問題として提議されました。


ディスカッションは、当初の予定から30分も延長してしまうほど白熱するものでした。
両先生の視点が交錯し、今回のテーマである「原爆堂」の位置づけについて議論が行われました。
伊東氏は、大地から生えてくる感覚、エロティシズムといった、作家的視点からの独特な描写で白井晟一を語られ、
また、白井磨氏による、実体験に基づく貴重なお話もありました。


虚白庵という空間の濃密さだけでなく、議論自体もこの上なく濃密なものが展開されたと思います。
それはやはり、レクチャー自体が、白井晟一についての基本的な知識があることを前提で行われているためです。
当たり前のことですが、建築を実際に見て体験しなければ、その建築を語ることはできません。
秋田の一連の作品や、長崎・佐世保親和銀行、群馬の松井田町役場、富山の呉羽の舎など、
白井晟一の建築で傑作と言われているものは、ほとんどが地方に分散しています。
今後時間を見つけて、全国を巡礼しなければならないな、と痛感いたしました。


最後に、今回のレクチャーが無事成功したことを、関係者の方々に感謝して終わります。



「原爆堂計画」原図面

ディスカッション。布野先生の手前が中谷礼仁、その手前が伊東豊雄氏。


報告者:廣江俊輔(白井晟一学習会)
写真撮影:武田夏樹(白井晟一学習会)